【公式サイト】旅館 ニュー泊﨑荘

宮城県南三陸町の海辺にある旅館です。

田束山散策②七観音様 3/28

約 6 分

みなさんこんにちは。

今日は、田束山に行ってきました。

寝杉→幌羽山頂上金峰寺跡→七観音様→田束山大聖不動明王→三十三観音様

のルートで散策して参りました。

終始良く晴れていて、清々しい陽気でした。

まだ田束山に行かれたことが無い方も、一度足をお運び頂ける
きっかけになれば幸いです。

P1040430

道路からの分岐点です。ここが入口となります。

田束山

赤○印が道路からの分岐点です。ここが入口となります。

P1040410

P1040411

准胝観音様
母性を象徴する観音様で、念ずれば子供を健やかに育ててくださるようです。

P1040412

P1040413

不空羂索観音様
必ず相手に命中するミサイルをお持ちで、合掌し念ずれば諸々の煩悩がこの法力の
ミサイルによって破壊されるようです。

P1040414

P1040415

如意輪観音様
こころやさしい観音様のようです。

P1040416

P1040417

千手観音様
信じて念ずれば千の手、千の目をもって正しい道へとお救いになってくださるようです。

P1040418

P1040419

聖観音様
神は自分の中にいるということでしょうか

P1040420

P1040422

馬頭観音様
交通安全を守って下さる観音様のようです。

P1040423

P1040425

十一面観音様
心を込めて念じ、まことをささげることによって、苦難から救ってくださるようです。

せっかくなのでここで、観音様に関しての学びを深めてみましょう。

七観音様は人々を救済するため7種の姿をとって現れた観音様。

それぞれが六道の衆生を救うとされる(担当の道が決まっている)。
ただし真言宗系と天台宗系では人間道担当の変化身が異なる(観音様が違う)。
重複分を合わせて七観音というようです。
天台系では准胝観音様、真言宗系では不空羂索観音を加えて六観音と称するようです。

1.聖観音・餓鬼道
餓鬼道は、飢えから火や糞までも食べさせられる大変なところです。
その世界にあった人を助ける観音は聖観音です。聖観音はすべての観音菩薩の基本で、慈悲の心であらゆる衆生の悩みと苦しみを救い楽を与える菩薩と説かれています。やがて、6,7世紀になると、十一面観音や千手観音など観音思想の展開に伴ってさまざまな観音が出現すると、それらと区別するため聖観音(正観音)と称するようになりました。したがって、日本においてもこの観音像は非常に多く、信仰も各時代を通じて広く行われています。
聖観音像の基本的な姿は頭に宝冠をいただき、体には天衣をまとい、耳飾りや胸飾り・腕輪などの美しい装具をつけて、左手に蕾の蓮華を持ち、右手の指先でそ の花びらを開かせようとする形が多いです。蕾の蓮華は容易に悟ることができない人々の心を、右手の先指はそれを開かせようとする仏心を意味しています。

2.千手観音・地獄道
地獄道は、最も苦しみの多い世界で、串刺し(食物を串に刺すこと)にされたりして罰を受ける人々が苦しみから雷のように大声で泣き叫ぶ世界です。
地獄に落ちた者を済度する観音は千手観音です。詳しくは千手千眼観世音菩薩などとも称する。
千手観音は1000本を持つほかに、頭の上に11面の化仏をいただき、本面に三眼を表し,掌のそれぞれに一眼ずつを表す。そして、それぞれの手には、救済の力を示すものとして、日・月・輪宝・宝珠・弓などを持ちます。
その姿を造形化する場合は、1000個の眼と1000本の手を表するのが、42臂につくることも多いです。これは中央の2臂を除く40本の手が1手につき25の衆生を救うと考えるからで、40に25を乗じて1000となる。
1000本の手は多くの人々に救済の手を差し伸べる慈悲を表し、1000個の眼は人々を教え導く知を表すとされる。

3.馬頭観音・畜生道
畜生道は、ペットなら飼ってもらえるのでまだ良いが、牛馬ならこき使われたり牛肉にされたり挽肉にされたりする動物の世界です。
他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、馬頭観音のみは恐ろしい忿怒と言う相に表現されます。
像容は前述のような忿怒相で体の色は赤、頭上に白馬頭を戴き、三面三目八臂(額に縦に一目を有する)とする像が多い。一面二臂、一面四臂、三面二臂、三面六臂、四面八臂の像容も存在する。立像が多いが、坐像も散見される。頭上に馬頭 を戴き、胸前で馬の口を模した「馬頭印」という印相を示す。
意味:一切の魔や煩悩をうち伏せる働きをするとされますが,これは馬が周囲の草をむさぼるように,人間の煩悩を食べ尽くして救済するということのようです。

4.十一面観音・修羅道
修羅道は、明けても暮れても人をいたみつけ、また人から傷つけられる生傷(なまきず)の絶えない世界です。
十一面観音は頭部に小さな十一の面相がつけられているので、こう呼ばれます。十 一面の配置は多くの場合,正面の三面は穏やかな慈悲の菩薩相。左の三面が恐ろしい怒りを現わした瞋怒相。右の三面は一見菩薩相に似ていて、しかし上方に牙 をむき出している白牙上出相。後部の一面は大笑している大笑相。そして頭頂には正面を向いて、如来相がつけられている。
左手に水瓶を持ち、右手は前に向けて開く施無異手の二臂(二本の腕)像が多いが密教の経典には四臂や八臂の像も説かれる。
十一面の意味は人々のさまざまな苦難に対応するため、すべての方向に顔を向けます。

5.不空羂索観音・人間道
人間道は、人間が住む世界で楽と苦がある世界。今、私たちが生を受けた人間社会です。
像容は、経典には様々な姿が説かれるが、いずれも多臂(多くの腕)を持ち、シカの毛皮を身にまとうのが特徴である。この「野獣の毛皮をまとう」という点でヒンドゥー教のシヴァ信仰と関係があります。日本では一面三目八臂(額に縦に一目を有する)とする像容が通例で、立像、坐像ともにある。胸の前で二手が合掌し、二手は与願印を結ぶ。その他の四手には、羂索や蓮華などを持す。
意味:羂索は鳥や魚を捕らえる網(あみ)や綱(つな)です。つまり、観音の大慈悲のあみで煩悩の世界で苦難するすべての人々をもらさず(不空)救いとるのです。

6.如意輪観音・天界道
天界道は、楽しみが多く寿命の長い天人の世界ですが、まだ煩悩が残っているので、いつか苦しみがやってきます。
如意輪観音像は、原則として全て坐像または半跏趺座(はんかふざ・片足を他の足のももの上に組んで座ること)で、立像はまず見かけません。片膝(かたひざ)を立てて座る六臂の像が多いが、これとは全く像容の異なる二臂の半跏像もある。六臂像は6本の手のうちの2本に、如意宝珠と法輪とを持っている。
意味:如意とは如意宝珠、輪とは法輪の略で、如意宝珠、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする。如意宝珠とは全ての願いを叶えるものであり、法輪は元来古代インドの武器であった輪が転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。六観音の役割では天上界を摂化するという。

参考URL

観音菩薩像

 

知らない世界の話で、とても興味深いものでした。

みなさんはいかがでしたでしょうか。

田束山に足を運ばれた際は、お祈りしてみてはいかがでしょうか。

それでは田束山散策③田束山大聖不動明王に続きます。

 

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。